夫40歳、私39歳
息子11歳、娘10歳
ここまで4人で過ごしてきました。突然夫が「もう一人いたらどうだろうね。」と話し出し、「後悔したくない。」と言い出した。
私は子どもだ大好きなので夫の言葉がうれしくてたまらなかった。
と同時に不安もあった。
上の子どもたちは11歳と10歳。年齢差があること。
私39歳と夫40歳。高齢出産と呼ばれる年齢であること。
でも「後悔はしたくない。」という夫のセリフにすごく納得がいくので決めた。
妊活します!!
やっと授かった我が子☺いとおしくてうれしく…。
子ども達にもすぐに報告して、みんなで私のおなかがすくすく大きくなるのを見守ってくれた。
娘は名前も考えてくれた。
しかし高齢妊娠。おなかの赤ちゃんが障害をもって産まれてくる確率が高いと言われている。
今は出生前検査というものがあり、しっかり赤ちゃんの遺伝子を分析して判定してくれるのだ。
しかし大きい病院でしかやってもらえず、しかも時期を逃すと大きい病院はやってくれない。
●カウンセリング初診:9,000円
●NIPT検査:200,000円
●羊水検査:100,000円
大きい病院では、出生前検査は12週までに受けなければならないらしく、私は12週まで家から近いクリニックに通っていたため、いざ大きい病院に通院することになった時にはすでに遅く、受けることが出来ないと言われた。
「そんなの受けなくても大丈夫だよ。大丈夫って赤ちゃんが教えてくれたんだよ!」とポジティブな私に、「上の子どもたちの将来もかかっているんだから、ここは慎重に検査すべき。」と断固と考えを変えない冷静な夫。
他で受けれるかいろいろ調べると、採血だけとって、採血検査機関に発送して検査をしてくれる美容クリニックを見つけた。
費用は200,000円。ただしもし陽性の診断を受けた際は、その後の大きい病院での羊水検査の診断結果を送れば、羊水検査費100,000円分を負担してくれるというものだった。
採血だけなので、気軽に問い合わせをした。それでも少し不安だったから採血会場には夫も一緒に行ってもらった。
採血だけで20万。。。
でも母体のためにも家族のためにも赤ちゃんのためにも必要な20万だと言い聞かせながら臨んだ。
それから3日もしないある日、メールで通知が届いた。結果は1週間かかると言われていたのに早い通知だった。
早すぎないかと不思議に思いながらきっと大丈夫だろうと、少しドキドキしながらメールを開くと、結果は「陽性」。
「トリソミー13 陽性」
ダウン症はトリソミー21と聞いたことあるけど「トリソミー13」って何??
すぐに「トリソミー13」を調べると、一気に崩れ落ちるような絶望感が襲ってきた。
トリソミー13とは、13番の染色体だ3本あることによって生じる重度の先天性障害のことのようだ。
多くの奇形や重度の知的障害だ発生し、生後1か月を前に死亡してしまうとされているようだ。
うそでしょ。
とにかく信じられない。おなかの赤ちゃんはすくすく大きくなっているし、私のおなかもどんどん大きくなっている。
日に日に大きくなるおなかを撫ぜながら「そんなはずはない。検査は間違いもあるっていうし、大丈夫。」と信じた。
しかしもし万が一本当にトリソミー13だったら…。それに羊水検査代はクリニックが負担してくれるということだから念のため受けることにした。
診断書をもって大きい病院で羊水検査をお願いした。まずは9000円のカウンセリングの後に羊水検査の予約をした。
カウンセリングでは羊水検査を受ける心構えや当日の流れや結果による出産の有無などの心構えなど細かく説明と私たちの家庭環境など質疑応答があった。私たちが診断結果の白黒を明確にしたい理由は私たちには子どもが2人すでにいて障害をもった赤ちゃんが産まれてきたらやはり思っていた赤ちゃんとの新しい生活とは違う大変な毎日になるだろうそこまで2人に背負わせていけないと思っているから。それに妊娠22週前だったら赤ちゃんはまだ地上に産まれたということにはならないのだ。魂が地上におりない=この赤ちゃんは死んでしまった扱いではなくもう一度チャレンジできるパワーのままお別れできるのだ。だから万が一トリソミー13と羊水検査で診断された場合は22週までにお別れすると夫婦間では強く決まっていた。
羊水検査の担当の方は検査を推奨している様子だったが、医師はあまりいい顔をしていないように感じた。診断結果が出たら産む産まないは赤ちゃんには聞けない。親が決めないといけない。その決断としっかり向き合うべき。産む決断をした人もいる。その子の一生を医師はしっかり支えると。お腹の中ではまだ赤ちゃんは必死に生きている産まれる準備をしている。複雑な心境は考えれば考えるほど止まらない。
きっと大丈夫。。。かすかな希望を持ちながら羊水検査をやる意志を伝えた。
日帰りで出来る羊水検査。それなのになんて気持ちが重たくなる検査なんだろ。何度も「本当にやるね?」と医師から尋ねられる。「これをやって結果がどちらになろうとも~」と延々と続くお医者さんからの話。空気が重い中やるしかない検査が始まった。
手術室で行われた。厳重に麻酔液を塗られ、エコーをあてながら、慎重に針を刺していく。赤ちゃんに触れたら大変だから慎重に慎重に。そして長い針が刺される。少しチクーッと長めの違和感を感じた。長い針が羊水の中をぐるぐる動かされているのが分かる。なんとも気持ち悪い。
ベテラン医師の指導のもと若手医師が赤ちゃんの動きを見ながら慎重に羊水の液を抜いていた。試験管みたいなガラスの瓶2本分の羊水が取られた。
羊水検査後は1時間ほどで入院部屋のベットで休み、何もなかったかのように帰宅した。傷口は青くなっているだけで全然痛くなかった。
羊水検査の結果は2週間くらいかかった。この期間は生きた心地がしないくらいすごく長かった。
待つ間もおなかはどんどん大きくなっていく。赤ちゃんもすくすく大きくなっていく。毎日お腹を撫ぜて「大丈夫。大丈夫。」と話しかけながらいたから、すっかりお腹を撫ぜるのが癖になっていた。
羊水検査の結果を聞きに夫と2人で病院へ行った。
結果は、「トリソミー13」という診断結果だった。
これは確定検査なのでもう確定なのだ。どこからともなく溢れる涙。何かが崩れ落ちた。夫はとなりで無言。
夫ともし確定だったら赤ちゃんとお別れすることはずっと決めていた。こんなに大きくなったお腹をさすりながら涙が止まらなかった。お腹の赤ちゃんには何も話しかけれなかった。ただ涙が止まらなかった。
お医者さんの真剣な言葉も全然入ってこない。同情がひしひし伝わる看護師さんたちもよく見えない。エコーをあてたいがどうするか聞かれたが「無理です。」と断ってしまった。
しかしそれでも夫はエコーにうつる赤ちゃんを見たことはないし、お別れする前に今見ないと見れないかもと思い、複雑な心境の中エコーをあててもらうことにした。
エコーをあてて、改めて言われるお医者さんの言葉。
「脳が1つしかない。本当は左脳と右脳があるでしょ。でもこの子は1つしかないんだよ。心臓も2つ。心臓は4つの部屋に分かれていないといけないんだ。唇も裂けてしまっているから空洞になっている。」
信じられないけどエコーでも見えるほどのトリソミー13の症状だった。私は気づけばすでに6か月の妊婦さんだった。本来なら安定期。つわりもやっと終わって、お腹もこんなに大きくなって、妊婦生活満喫するはずの6か月だった。
こんなにお腹の中の赤ちゃんも大きくなったのにお別れする決断をしなければならない絶望感。待合室にはたくさんの妊婦さんたち。みんな大きなお腹を支え、いつも通りの診察待ちをしている。まさか同じ妊婦にこんな状況の妊婦がいるなんて思いもしていないだろう。泣き顔がバレないように必死でマスクで顔をできる限り覆い待合室をあとにした。
家に帰って子ども達に泣きながら伝えた。
息子は明るくふるまってくれた。娘は何も言わずに一緒に泣いてくれた。
お別れするために分娩予約をした。たんたんと行われる説明。止まらない涙。
しかしお別れまでしっかり見届けることが私に出来ること。そう自分に言い聞かせながら準備をした。
●棺になる燃える素材の箱(ペットボトル500mlくらいの赤ちゃんが入る大きさ)
●棺に入れるふわふわの綿のタオル
●棺に入れるメッセージカードや折り紙など(燃える素材のもの)
●棺を入れる紙袋
お別れまではとてもとても壮絶だった。
お別れをするための入院は計4日ほどのものだった。
朝早く入院して、医師から説明を受ける。看護師さんからはたくさんの質問をされた。「赤ちゃんが産まれたらご対面しますか?抱っこしますか?母乳をすわせますか?辛かったら母乳は大丈夫ですよ。母乳が出ないように薬を飲んでもらいますからね。棺はいつもってきますか?旦那さんやお子さんは赤ちゃんとご対面しますか?」私は産んですぐに一人で会う勇気がなく夫と一緒に会うことを希望した。子どもたちは会うのをやめることにした。寂しい思いとはうらはらにお別れに向けてちゃくちゃくと段取りよく進められる。午前中の内に子宮口を開かせるために、膨らむガーゼを何本も膣に入れられる。入れる時は痛いのなんの。夕方そのガーゼを取り、また新たにもっとガーゼを入れられる。抜く作業も痛すぎてフゥフゥ言いながら抜いてもらう。その後の新しいガーゼを入れるのもとにかく痛い。
入院初日と同様、膣の中のガーゼを取り、また新しいものを入れて、夕方取って入れる作業をする。ガーゼの量もどんどん増えるため常に痛さと戦う。血もぽたぽた落ちる。でもこの痛さも赤ちゃんのことを思えば辛いなんて言ってられないと耐えた。痛すぎる入れ替えの数分後には違和感はあるものの普通に生活ができるほど。
朝、いつも通りガーゼを抜くと、医師から「子宮口がだいぶ広がったね。」と言われ、促進剤を膣に入れられる。促進剤は出産を早める薬だ。「早い人は便意だと思ってトイレに行って産んでしまう人もいる。遅ければ入院を長引かせて再度促進剤を入れなおさないといけない。どうなるかは分からない。」とのことだった。
なんせ普通分娩の経験がない私。二人の子どもは帝王切開だったため。妊娠の壮絶さを知らない。知らないがゆえに未知すぎて出産の壮絶さより赤ちゃんとのお別れにしみじみしていた。
促進剤は思っていたより効きが早く、数分後にすぐに便意を感じ、そわそわが止まらない。看護師さんにはトイレにどうしても行きたいときは付き添ってもらわないといけないとのこと。便意なのか出産なのかよく分からないことを看護師さんに伝えていると陣痛らしき痛みを感じだす。
すぐに看護師さんと一緒に帝王切開の手術室とは違う広い分娩室へ移動することになる。
分娩用のベットは帝王切開用のベットとは全然違い、広くて足も開くようになっているベットだった。そこに寝そべって看護師さんとおしゃべりをしながらくつろいだ。時々陣痛の痛さを訴えながら。
「まだそんなもんじゃないから大丈夫。」何度その言葉を聞いたか。
「赤ちゃんが小さかろうが大きかろうが分娩の痛さは普通に全く変わらないからね。」とも言われた。普通分娩をしたことがない私にとって「普通」がどのくらいの痛さなのか想像もつかなかった。
笑って痛みに耐えていたのがウソのような壮絶な痛みが続きだした。痛みに耐えすぎて気持ち悪くもなってくる。
笑いもできない目を開けることもできない返事をするのがやっとくらいな腹痛ではない壮絶な痛みの波が止まることなく何度も押し寄せてきた。「う…….う…う…………」うなるような声。止まらない汗。気持ち悪さも限界を達し陣痛に耐えながら嘔吐もした。看護師さんたちは優しくて「大丈夫。大丈夫。嘔吐する人もいるし便を出す人もいる。大丈夫。」と優しくさすってくれた。
手すりを握る手は血が死んでしまうのではないかと思うほど握りしめる。看護師さんがずっと話しかけ腰をさすってくれたことは覚えている。私が苦しくて痛くてしかたない壮絶な状態な中、1人の看護師さん以外の数人の看護師さんは「まだあと30分は続くと思うから部屋を外しますね。」と一言。うそでしょ。この痛みがあと30分。無理だ無理だ。。。
分娩=赤ちゃんとのお別れ
お別れなんてしたくない。
でも赤ちゃんはまだ小さくて今地上に出てきてバイバイできれば産まれたことにはならず、また新しい魂となって地上に産まれてくることが出来るのだ!!死んだことにはならないのだ!!だからしっかり私がふんばって赤ちゃんとお別れしないと始まらないのだ。
だからこの痛みに耐えないといけないのだ。
涙なのか汗なのか分からない水が顔中から溢れた。そんな時突然猛烈な便意のような違和感を感じる。う〇ちではないと察した私は「出そうです!!」と今日一番大きい声で叫んだ!!背中をさすってくれていた看護師さんが私の膣周辺を大きなナプキンをあててすごい強さで押さえながらナースコールを鳴らし「至急着てください。産まれそうです!!」と叫ぶ。
私は赤ちゃんが出たい出たいと外へ外へ出ようとしてるのを抑えられず看護師さんの手の力強ささえも限界を感じる直前、医師をはじめ助産師さん看護師さん数名が勢ぞろいした。そしてすぐに看護師さんの抑えていた手は安心したかのように離されると同時にスル~ッと大きな何かが出た。赤ちゃんなのかと思ったらそれは羊水で、医師が「次は赤ちゃんが出てくるからね!がんばれ!」と言われてすぐにまた大きな波がきたと同時にスル~ッと気持ちよく大きなものが滑り落ちる感じがした。赤ちゃんのようだ。医師が「赤ちゃん出てきたからね!よく頑張ったね!次はお母さん!」と言われ、胎盤が全部出たかなど確認をされた。赤ちゃんはへその緒を切る処置や血をふき取る処置などたんたんと行われていた。私は赤ちゃんとは夫が来てから対面することにしていたので助産師さんは静かに赤ちゃんを別室に連れて行った。看護師さんから赤ちゃんはお空に旅立ったことを伝えられ、どっと涙が溢れた。もうお腹の中には赤ちゃんはいないのにお腹をさする癖が抜けない。お腹をさすりながら「ごめんね。ありがとう。よく頑張ったね。えらかったね。今度こそ絶対地上に産まれてくるんだよ。」とお腹を見つめながら心の中で話しかけ続けた。
壮絶なお別れから1時間分娩室でゆっくり休んだ。何も異常がなかったので、入院の部屋にその後車いすで静かに移動し、入院部屋にて医師とお話をした後、ゆっくり横になった。夫に連絡をして、次の日は仕事を午後休んで病院に向かってもらうことになった。しんみりした中、小さな棺を抱えて夫がきてくれた。
夫が来たら赤ちゃんと会うことになっていたので、すぐに看護師さんがやってきて「今から赤ちゃんを連れてきますね。」とそそくさと準備が始まった。
赤ちゃんは出産後にのる赤ちゃん用のベットにのせられ、白いタオルに身を包まれながら、2名の看護師さんに静かに連れてきていただいた。顔を見るのがとても怖かった。不安だった。いや、怖かった。
おそるおそるベットをのぞいてみると「かか…かわいい。」涙を流しながら、私の第一声は「可愛い。」だった。
本当に可愛かった。息子にも娘にも似ているように感じた。すごく可愛い正真正銘の夫と私の子どもの顔だった。口はトリソミー13の症状の閉じれない唇に上唇には大きな膨らみがついていた。膨らみもなんだかとっても可愛かった。手と足は片方だけ5本ではなくて6本だった。でもとっても小さくて可愛い指。
夫は静かに赤ちゃんを抱きかかえてくれた。私は「感情移入したらこの子の魂が迷っちゃうかもしれない。しっかりもう一度今度こそ地上に産まれてくるために私は抱かない。」と決めていたから抱っこするのは辞めた。涙は止まらないけど感情的になっているんじゃないと言い聞かせた。
看護師さんに赤ちゃんに着せる肌着が入った箱を渡され選ばせてもらえた。すごく小さいサイズからもう少し大きいサイズまでいくつもあった。私と同じように赤ちゃんと悲しいお別れをしたお母さんたちやそのまわりの方がボランティアで作ってくれたものらしい。なんて素敵な肌着だろう。こんな悲しくてつらい気持ちの中、肌着を選ぶ時間だけほっこり優しい気持ちになれた。
選んだ肌着は夫が赤ちゃんに着させてくれた。なんて逞しいんだと改めて惚れ直した。
そして可愛い肌着を着た赤ちゃんを赤ちゃん用のベットから私たちの手作りの棺に、そっと寝かせた。なんで棺なんだ。なんでお別れなんだ。なんでこんなことに。悲しみと辛さの涙でよく見えない中「ごめんね。ありがとね。」を繰り返し伝えた。伝えてる時もずっとお腹をさする癖が止まらなかった。
その後しばらくして医師から死産届を受け取った。赤ちゃんは12週以降は死産届というものをもらう。これをもって火葬場へ行く流れになっているそうだ。
退院手続きをした後、看護師さんにお礼を伝え、私は赤ちゃんの入った棺を抱え、通常のエレベーターとは違うナース室のエレベーターで下に降りた。1階の出口には一足先に車をとりに出てくれた夫が待っていた。車に乗って出発するまで看護師さんたちはお辞儀をしてくれていた。
火葬場には事前に夫が連絡してくれていたので、死産証明書をもって、赤ちゃんの入った棺をかかえ、火葬場へ向かった。洋服は黒っぽい服。けして喪服ではない。
赤ちゃんの骨は小さいので残らないそうだ。残すこともできるし、少しでも残ったら持って帰ることもできるそうだ。残すなんてもってのほか。まだ魂は産まれてきたわけじゃないのだから。毎回丁寧な説明に混乱することは一切なく私と夫は断固として赤ちゃんは地上に産まれたわけではない、しっかりお別れはするけれど、赤ちゃんの魂が勘違いしないようにそこははっきりと「残さなくて大丈夫です。」と伝えた。
この赤ちゃんとお別れするのだけどお別れではなくてて、赤ちゃんの生命の誕生に向けて出発するのは見送るということなのだ。
しっかり私たちの意志は固く持ち、赤ちゃんをしっかりお見送りした。
家に帰ると、一目散に駆け付け私にとびつく娘。心配そうに駆け付ける息子。
私はお腹をさすりながら子ども達に「ありがとう」と伝えた。
私のお腹にきてくれた赤ちゃんのことを忘れないためにもブログに記すことにしました。長々と読んでいただき、ありがとうございました。赤ちゃんの幸せな未来に希望を添えて。