私はつくづく思うのだ。
場面緘黙症と赤面症。全く違う症状だけど、緊張や不安を感じる心の回路の何かが同じなのではないかと。
私はアラフォーになった今も赤面症は健在。いろいろな場面での赤面症状の度合いは様々だし、その状況はこうゆう時にこのくらいの赤面ということは一概には言えず私自身にも分からないのが本音。最近の困った赤面症の状況としては、デパートとかで突然、久しぶりに友だちに会った時凄く嬉しいのに真っ赤になってしまったり、親戚の集まる場で食事をする時、突然話を振られ注目を浴びた瞬間真っ赤になってしまったり、仕事で来客されたお客さんがイケメンや美女だと「ここで赤くなったら勘違いされたら嫌だな」と思った瞬間に真っ赤になったりした。
ネットで「赤面症の治し方」でググるとたくさんの内容が載っているし、YouTubeでも凄く分かりやすく説明されている。
いろいろ調べた結果、私の見解としては、「赤面症になる」イコール「人に興味がない」という結果に至った。
確かに私は昔から、友だちが何に興味があるとか何が好きとかどこの大学に出たのかどこに住んでいるのとか何の仕事についたとか全然覚えられない。道もなかなか覚えられない。友だちとはたくさんお喋りするし、自分でいうのも変だがコミュニケーション力はある方だと思っていた。人も好きだしお喋りも好き。ただ気づいたのだ。というか薄々気づいていたけれど、やっぱり他人に全く興味がない。。。でもそれがまさか赤面症の要因だったとは今気づいた。
他人に興味がないことは自覚はあった。その場だけのコミュニケーションとしての会話のためのお喋りで、話しの内容など全く覚えていないのも紛れもない事実。あれこの前聞いたけど何って言ってたっけ。。。あ、この前も聞いたかも。。あ、また質問しちゃったかもとかそんな感じになるのだ。当然だ、興味がないから。
人と話す時、盛り上がろうと私自身いろいろ話すけど、その場しのぎのための相手へとのお喋りだけだったのだ。だから本音は相手のことに全く興味がなかった。
例えば「髪切ったんですね!凄く似合う!どこで切ったんですか?」と質問する。でもそこからの相手の返答には全く興味がない。でも無言になると心がそわそわするから必死で盛り上げよう、話を続けようと思ってしまう。そして話が続き美容室を教えてもらったとしても、そもそも興味がないから話半分しか聞いてないのだ。他の人が話にくわわってその美容室について話がもっともっと広がったとしても内容にはまるで興味がないから、その場は盛り上がるが耳から耳へ流れて、結果全然脳裏に残らない。こんな感じのことが日々起きていた。薄々気づいていたけど、改めて振り返るとなんて奴だと我ながら治したいと本気で感じた。
多汗症の夫はその点、コミュニケーション力が低いのに、よく覚えている。〇〇さんがこの前話してたお店だとか〇〇さんの持ってるモノだとか〇〇さんから教えてもらった美味しい商品とか、車とか洋服とかバックとか靴とか、もちろん道も詳しい。多汗症と赤面症はやはり精神面において似ているようで似ていない別のくくりなのかなと感じた。
赤面症を治したい一心で調べていたけれど、もっと根本の自分の弱点に気づくことが出来た。赤面症を本気で治したいのなら「赤面症」との戦いではなく、まずは他人にもっともっともーっっっと興味を持つ努力をしなければならないことをが分かった!!!!
赤面症にならない人なりにくい人は、きっといや絶対この「他人へ興味を持つこと」が自然と出来ているのだ。でも私は自然に出来ない。当たり前ではない。
他人との会話の内容に興味がないから話しているときに違うことを考えてしまう。だから、心が集中できずそわそわと宙ぶらりんの状態になり、心の軸が不安定になり、結果「危険信号!」が偏桃体から発令され、緊張状態になり血流の流れが悪くなって赤面をしてしまっていたのだ。
私にとって大変なことだけれど、もっと他人に興味を持つ努力をしないといつまでたっても治らない!まずはそこからだったのだ!!!
他人に興味を持つということは、他人のことをもっと知ること。誕生日、住まい、車、趣味、子ども、いろいろ。。今からでもまだ遅くない。気づいた今から始めよう。自分のまわりにいる一人一人のことをもっと想い大切にしよう!!
相談事ははっきり言って盛り上がるから脳裏に焼き付きやすい。でも相談事ばかり話すのもせっかくのお喋りの時間がなんかどんよりしてしまう。だからもっとハッピーにもっと深く。会話を心底から楽しめるために。もっと相手のことを想い、相手に興味を持つのだ!!!
人はきっと自分のことに興味をもってもらえたら凄く嬉しいし気持ちがいいはず。興味を持ってくれてると思って話しているのに、もし話半分で聞いていると知ったら凄くガッカリするし、相手に不快感を持つだろう。私だってもし自分の会話を相手が話半分で聞いているなと気づいてしまったらその相手とは深い関わりを持ちたいとは思えないはず。
そこで気が付いた。
この根性を叩きのめすために改善するためにどうすればいいのかを。
家族・親族・友だち・知り合い・会社・・・のそれぞれの一人一人のリストを作るのはどうだろうか!!
まわりの一人一人を大切にするには、興味を持つには、一人一人の情報をまとめてインプットしなければならない。
会社で名刺の裏に似顔絵を描いたり、特徴を書いたりしてその人に失礼のないようメモったことがある。そんな感じで、まわりの関わる人たちをメモることから始めてみようと思う!!
関わりのある人というのは、友だちはもちろん、よく理解していると思っている家族もだ。そして、ちょっとした知り合いもだ。ちょっとした知り合いは挨拶くらいしかしないからいいじゃんと思うかもしれないが、赤面症を改善するのが本来の目的であり、挨拶程度の交わし合いかもしれないがそれすら赤面の恐れがあるから、その人も興味を持たないといざ会話が始まってしまった時、赤面を防げないから必要なのだ。知り合いというのは子どものクラスのお母さんだったり、ご近所さんだったりだ。
家族は赤面しないが、家族のことももっと知れたら素敵だなとメモってみたいなとただ思っただけ(^^)補足にすぎない。
親族はこれは意外と重要だなと感じた。ずっと長く付き合っていくのだから、苦手とか好き嫌いとかそうゆう次元ではないので、大切にしなければならないのだから、一人一人をメモってみようと思う。
こうやって自分のまわりの関わるすべての人をもっと知る努力をしてみようと決めた。
ただ、会社での来客だったり、始めて会う人だったり、リサーチ出来ていない人に関しての対処法は、これはもうその場でリサーチするのみなのだ。顔でもスタイルでも髪型でもいい。何かこだわりポイントを見つけられるかもしれない。こだわりポイントを外見だけで見つけれることができたらラッキー。もし見つけることが出来なかったら、質問しかない。質問を会話の中から見つけてもいいし、自分から雰囲気から察していかなければいけないので大変だが空気を読んで相手を探るのだ。
まずは、次の日会うであろう人からメモ取りスタートだ!!
他人に興味を持とうと心がけて会話をしていると、いつも赤面する場で何となくリラックスでき赤面せずに会話が出来ているように感じる。皆で会話している時、掃除の係を決める時、責任が自分に向いた時、自分ではなく話の内容や相手のことを考えていると心がだいぶ落ち着くのが分かった。
そんな中仕事場で、お昼休憩の時、まわりの他の人たちが子どもの話で盛り上がっていた。そして、ふいと私に質問をされたことがあった。内容は「子どもに怒らなそうだよね?怒りますか?」という質問だった。私はすぐに「いやいや怒るよ~。この前なんか怒って息子を裸のまま外に出しちゃったもん。(本当はシャツとパンツ姿。息子が着替えなくて怒った時の出来事。)」と答えた。その時だった。血が一気に顔に集まり真っ赤!!
理由を考えた。急だったこと。私が怒らなそうという私に向けられた視線。そして、怒ることをアピールしようと大げさに話してしまったことで相手がどう思ったか不安になったこと。それらの要因から真っ赤に赤面してしまったのだと解釈した。
質問された時、いいイメージより悪い面白いエピソードの方が盛り上がるとふいに思ってしまった。これがいけなかったのだと感じた。会話は私メインではなく、もともと数人で会話していたのだから、そちら優先で、私は「怒る、怒らない」だけの返答で良かったのだ。別に会話に入りたいと思っていないのに無理に盛り上げようと加わるの相手もそこまで求めていない。それに、心は自分優先にしなければ。自分の心を守らなければ。おだやかな心でいさせてあげなくてはならないのだ。
私の性格から急に質問されるとテンパってつい即答してしまうが、とりあえず質問の答えのみ言うようにしようと思う。それ以上に相手が質問したら続きを言えばいい。でも特に話したくなかったり、話した後の相手の反応が気になるような話だったりした時はあえてエピソードを語るのをやめる方がいい。それでも話したい内容がある場合は赤面はしないはずだ。赤面以上に相手に伝えたいと思うはずだから。またいくら話したい内容でも突然の質問やふいの会話の時は血流が一気に顔に集中するから心を休めてからタイミングを見て話せばいいと思った。急な時はとりあえず自分の心の安定第一にするべきということが分かった。
「恥ずかしいという概念を捨てる」これが出来たら本当に楽なのだが・・・。
でも思っている以上に意外と出来ることが分かったのだ。それには「調和」が鍵を握っている。
人がわちゃわちゃいて、その中で友だちと会話をするときって、誰もいなくて友だちと二人で会話するより、自然体で楽な気持ちでいれるのは皆同じだと思う。このときのこの気持ちがとても重要なのだ。電話も同じ。シーンとした空間で問い合わせの電話をするのと、わちゃわちゃしている空間で電話をするのでは後方の方がずっと気持ちが楽で自然体で話せる。そのときの心の状態が常でいれるようにすることが大切なのだ。まわりのうるさい状況の中で調和しながら溶け込んでいる状況での心の状態。どの人もこの心の状態を味わったことがあるはずだ。
家族といれるときほどリラックス状態ではないが、ある程度のちょうどいい緊張感とリラックス感を持ち合わせている状態。これがまさしく理想の状態なのだと思う。
私と娘で例えると、友だち親子を家に招待した際の出来事。娘の友だちは二人来る予定。お母さんも二人来る予定だった。お母さんの一人は依然も遊んだことのあるお母さんだが、もう一人のお母さんは初めて遊ぶお母さんだった。遊んだことのあるお母さんがとても社交的だから何とか会話が弾むだろうという楽観的な気持ちでいたのだが、当日下の子が熱が出たということでそのお母さんだけキャンセルになったのだ。子どもだけ連れてくるということになった。
予定が狂い私は大パニック。でも娘のために家に招待したのだから、頭をリセットして乗り切ろうと、心を落ち着かせようとした。
そんな中、息子も友だちを家によんでいた。娘は息子の友だちとはまだ一度も話せたことがなく、息子の友だちが家に来るたび声が出なくなるので私の耳もとまできてこしょこしょ話をしている感じ。だから自分の友だちがくるときにいてほしくないと息子に交渉していた。せめてリビングには来ないで息子の部屋で遊んでほしいと。そんな願いも虚しく、一番最初に息子の友だちが遊びに来てしまった。その次にまた息子の友だち。またその次に息子の友だち。。合計4人の息子の友だちが来たのだ。さっそく元気元気!!
娘の友だち親子を招く日のはずが、すでに息子の友だちでリビングはわちゃわちゃ!!元気元気!!
そしてやっと娘の友だち親子到着。もう一人の友だちも到着。その頃には私のドキドキはどこへとまではいかないが、うるさい状況すぎて、緊張もしている中、会話もしたい気持ちが膨らみ、「ごめんねうるさくて!コーヒー飲む?」という流れで自然体でいれる自分がいた。
わちゃわちゃの空間で会話することで、緊張と自然体が上手く調和された。娘も全く同じ状況が起きていた。ニコニコ笑顔で自然体でいれていたのだ。家族に見せるリラックス状態とは違うが、緊張感の中での自然体。私と全く同じ心情だと気づいた。友だち親子が来てから帰るまでこんな状態だったから、娘の場面緘黙症の症状は出なかった。喉の扉もしっかり開けれていて声が出せていた。この状況とこの気持ちを忘れないようにしようと強く感じた。
私自身の赤面症も赤面なんてするような瞬間が見つからないくらい目まぐるしく時間は過ぎた。娘の友だちと息子の友だちにしっかり目を向けれてる自分もいるし、臨機応変に振舞える自分が自然体で嬉しかった。
出だしがこんな感じだと、最初の緊張感が吹っ飛ぶので、その後はリラックスが上回ってくるようにも感じる。
ここまでくればこっちのものだ。緊張感は飾りくらいな気持ちで自然体をキープできる。
まわりと調和しているときの心のリラックス感。これを大切にしたい。
調和しながらでーんと構えること。
まわりがうるさい状況は何とか大丈夫そうだが、逆にまわりが静かな状況では静かにしなければならず緊張感は増えてします。でも心はリラックス状態をキープできるように空間を大切にすることに重点をおくと良いのではないかと思う。
半径60cmくらいまではリラックス空間としてバリアをはる。「緊張」はそのバリアの向こう側に置くのだ。緊張空間の方がとてつもなく多いけれど、緊張感は常について回るもので当たり前と認識し、でも自分と自分の近くはリラックス感と安心感を持てるようにすることが大切なのだ。場面緘黙症の娘が常に私の近くをキープしているからその娘にまで私の緊張感が伝わっていたら安心感どころじゃない。私自身も自分を大切にするために癒しの原点でありたい。
この人といると緊張するなと思える人より、この人といるとなんか落ち着くな安心するなと思える人になりたい。
そのためには「緊張感」と「リラックス感」をちょうどいいバランスで持ち合わせ、まわりの状況に上手く調和できることが重要なのだ。
その他の関連ブログ♪