娘の場面緘黙症が、私の赤面症と心の反応部分がどこか似ている気がして、なにか少しでも緘黙を治すヒントがないかとググってみた。そしたらあるネットで遺伝要素もあるかもということを知ったのだ。娘が場面緘黙症の症状が結構ひどいときに通っていたおこころの診療所のお医者さんには、親の育て方が原因ではないし、遺伝も関係ないからねと教えていただいて、凄く安心していた。でも、ネットで調べると遺伝も関係すると書いている人もいるのは事実。しかし、夫も私も場面緘黙症ではないし、親族にもそんな症状の人はいないから、「遺伝」に関して気にもしていなかった。そのネットによると親が社会不安症という症状をもっていると子どもが場面緘黙症になる場合があるそうなのだ。社会不安症って何だろう。調べてみると、なんと赤面症や手足に汗をかく症状もこのくくりの中に含まれていたのだ。えええええええ。。。。。驚きしかない。
私は中学生の頃からふとした時に顔が真っ赤になる赤面症だし、夫は小学生の頃から手足の汗に悩まされたあがり症。二人揃って社会不安障害だったのだ!!
そういえば、息子も幼稚園の頃チック症になったことがある。
基本的に家族揃って全員あがり症なのは間違いない。
でも、そもそもあがり症って皆そうなんじゃないのか。それでも立場だったり、状況だったりで、乗り越えられたり、失敗したり、後悔したり、自信になったりするもので、それが人生の成長なんだと思っていた。違うのかなぁ?!確かに度合いは全然違うけど、性格だって皆違うし、でも皆それぞれ緊張するし、不安もあるし、悩みもあるはず。あがり症が社会不安障害とひとくくりにまとめられてしまうと、正直なんか不快に感じてしまったのは私だけだろうか。でも、もしかしたら今の私だからそう思うだけで、もしこれが思春期の時期で赤面症をひどく悩んでいた時だったら、「社会不安障害」と知れて安心するかもしれないし、前向きに治そうと病院に通うかもしれない。そう思うと社会不安障害という言葉も必要なのかもしれない。
私の赤面症の度合いは、知り合いとのちょっとした再会で凄く真っ赤になってしまう時もあれば、幼稚園の先生として音楽会の舞台で司会をした時は全く赤くならず堂々と出来ることだってある。
私の赤み症状には種類があって、ぼっと一気に真っ赤になったり、じわじわ赤くなったり、かと思うとすぐに赤みがひいたり、ずっと治らなかったり、全く赤くならなかったり、本当にいろんな時がある。自分でもいつどのくらいの赤みが出るか分からないのも本音。ただ分かるのは、どうしてもやらなくてはならない大役を引き受けて絶対失敗したくなくて何回も家で練習した時は決まって本番で赤くならなかったのだ。例えば結婚式のスピーチだったり、結婚式の余興だったり。でも中途半端な大役では赤面症は起こる。例えば幼稚園の先生だった時の参観会や自分がしきらなければならない係のミーティングなど。
夫と話した。夫は多汗症で苦しんでいる。私は赤面症が嫌だ。どちらが辛いか。私的には多汗症の方が「パッと見、汗が大量にかいているなんて分からないからいいじゃん。もし気づいても、うわ汚いなんて思わないよ。」と思った。夫は「赤くなったって別にいいじゃん。周りは赤いな~くらいでなんとも思わないよ。」とのこと。でもどちらも負けないくらい悩んでいる。どちらも辛いのだ。
夫の多汗症もすぐに引く時もあれば全然止まらなくてずっとかき続けてしまう時もあるそうだ。後輩に機械のことを教える時に手がびしょびしょで集中できなかったり、皆の前で指導する時に額から大量の汗が噴き出て辛かったり、大切な書類を書くのに用紙が濡れてしまって困ったり、主に仕事中たくさんの状況で苦労しているようだ。
私は、仕事の時だけじゃなく、ママ友だったり、学校の先生だったり、子どもたちだったり、学校の行事だったり、児童会の送り迎えでだったり、ランチ会だったり、食事会だったり、近所付き合いだったり、いろいろな交流があって、その都度赤面症と戦い、日々悩んでる。
とにかくどっちの症状も負けないくらい苦しいのだ。でもなんとか日々を過ごしているのだ。
でも気づいたことが一つある。多汗症の夫にとっても、赤面症の私にとっても、お互いが横にいてくれるだけでとても安心するということだ。夫によれば私に「汗かいちゃったよ~」と言えることで逃げ場が出来ていいらしい。また「タオルで拭きな」とか「私が書こうか」とかそばで声をかけてくれる相手がいることで安心するそうだ。
私も親戚の集まりとかで突然注目を浴びたり、答えづらい質問を受けたりした時、ふとした時に突然赤面してしまう。でも夫が近くにいると凄く安心する。「やばい赤い?」と聞けたり、なんか赤くなりそうで心がそわそわする時は夫に話しかけるとリラックスできる。
このように絶対的な味方、何でも受け入れてくれる相方の存在は、何かしらので悩んでいる人からするととてつもなく大きいようだ。
娘の場面緘黙症は、「話せない」辛さ。固まってしまう辛さ。笑顔になれない辛さ。これまた辛いのは重々承知している。
私は、場面緘黙症と赤面症が、同じような心の回路のような気がしてならない。(夫の手足額の汗も同様)
場面緘黙症にも赤面症にも重症度がある。でも、私の症状と娘の症状はどこか同じくらいのレベルの気がする。
娘が幼稚園年少の頃は結構重度のレベルだったかもしれないが、少なくても今の娘の場面緘黙症の症状のレベルは、私の赤面症の症状のレベルと同じくらいの気がする。一見私は赤くなっていてもベラベラ喋るからもっと軽症に見えるかもしれないが、心の緊張度?不安度?恥ずかし度?何らかのレベルはもしかしたら同じくらいかなと感じるのだ。
私が娘を児童会へ向かいに行く時を例にとってみる。迎えに来た私に気づくと娘はささささと片付けをして速やかに支度をしてしっかり私のもとへ来る。ただ表情は硬く先生へ挨拶は出来ない。この挨拶をする瞬間は娘の場面緘黙症のレベルはMAXだと思う。私が先生に話しかけられ、真っ赤になる瞬間のMAX度と一緒だと思うのだ。
私の場合、この真っ赤になった瞬間の時に、「頑張れ」「赤くなるな」「落ち着いて」「大丈夫」って言われても、赤面している私はどうもこうもならないのだ。というかそっとしておいてほしい。言われると余計にやっぱり赤いんだとショックを受ける。それに「落ち着いて」は最悪な声かけ。プライドが傷つく。だから、真っ赤になっている時は、そっとしておいてほしい。赤くならないときもある。赤くならなかった時はとても自信になる。その赤くならなかった時の自信だけをできれば脳に染み込ませたいのだ。だからあまり赤くなった時のダメージを与えないでほしいのだ。赤くなると結構ショックなのだから。
そう思うと。。。娘も場面緘黙症MAXの時、そっとしておいてほしいのだと気づいた。あえてそのことに触れないでほしいのかも。出来るときがあるかもしれないし、きっとあるし。出来ないときは無理強いしても無理なのだ。だって場面緘黙症なのだから!!!言葉が出ない症状なのだから!!!
私だって赤面症なのだから。顔が赤くなる症状なのだから。無理な時は無理なのだ。赤さはコントロール出来ない。
そうか!!一番自分自身が分かっていることなのだから、あえて症状が出てしまっているときは、そのことに触れずにいた方がよくて、何かしらの心の緊張不安などのバロメーターがMAXになってしまっているのだから問題はそこで、せめて私に出来ることは安心と信頼ができる絶対的な味方だと娘が思ってくれることが大切なのだ!!
この前、学校の参観会の日の夕食の時に、学校で息子が先生に質問したり発表している姿を褒めたことがあった。すると息子は「でもお母さんがいると恥ずかしい」と言った。娘に聞くと娘は「お母さんがいると嬉しい」と言ったのだ。その時は私に気づくと手を振る息子と私に気づいても手を振らない娘だから、まさか息子が私がいると恥ずかしくて、娘が喜んでいるとは思わず、逆だと思っていた。だから参観会などでは娘のところでは大げさに手を振ったりせず静かに見守っていた。娘は笑顔ではなかったし、手も振ってくれなかったけど、娘は場面緘黙症なのだから、その時その症状が起こっているのかもしれないのだから、感情を出せなかったのかもしれないのだ。でも娘にとっては、私という絶対的な味方が近くにきたことを喜んでくれていたのだ!!凄く嬉しかった!!娘にとって私は絶対的な味方と認めていることが確信できた日だった!!
そこで思ったのだ。症状は違うけど、もし心の何かのバロメーターが一緒だとしたら、私自身が赤面症を治せる努力をしようと。いろいろな方法を試してみて、本当に赤面しなくなった方法がもしもあった時、それを娘に教えてあげようと思ったのだ!!
ということでまずは自分の赤面症を治す努力をしてみるぞ!!
ググった。赤面症の治し方についてのYouTubeは結構多く、分かりやすい。出来そうな気がした。
≪治し方≫
①話している時は、自分ではなく、相手に興味を持つ。
②自分がどう見られてるかの意識より、相手の話を集中して聞く努力をする。
まずは、この当たり前の二つのことを中心に日々考えて行動して、もし赤くなりそうな場面になったとき、思考を自分に向けず相手に向けることを意識して赤面しないかどうかを実践してみようと思う。
まずはこの二つだ!!絶対に治すという気持ちで常に意識して過ごしてみることにする!!2020.10.15開始!!赤面に打ち勝てたとき、無理だったときを随時チェックしながら生活してみる。
もっともっと赤面を治すヒントも探しつつ。
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