幼稚園年中の頃に場面緘黙症と診断を受けた娘。ヤマハピアノ教室は、ちょうど診断を受けた時期に習い始めた。一番最初に仲良くなった子に誘われて、二番目に仲良くなった子と三人で一緒に入った。
ヤマハピアノ教室は幼稚園のホールを借りて行うため、幼稚園が終わった後、そのままの流れでホールへ行きレッスンがスタートするので、娘にとってはとてもスムーズに入れて、仲良しの友だちと一緒だから幼稚園と何ら変わらず楽しくヤマハピアノ教室に通えた。
ヤマハピアノ教室に入った最初の頃は、親としては不安もあったけど、ヤマハの先生は優しくてとても明るい面白い先生だったので、娘が固まることもなくリラックスして取り組めていたように感じたので、いつの間にか不安より期待の方が大きくなった。
それに本来は負けず嫌いの娘。ヤマハピアノ教室ではそれを発揮できていた。練習を忘れるとレッスンで上手く弾けなくなるから、頑張って練習をした。レッスンではほぼ皆で合わせてエレクトーンを弾くのだが、時々先生が「一人で弾ける人?」と聞くと、仲良しの友だちが挙手して一人で弾いてみせると、負けじと娘も挙手をして一人で弾くのだ。毎回私は鳥肌を立てながら聞いていた。とても頑張っていた。
しかし、歌となるとまだまだ難しいようだった。家では何回も大声で歌っている娘。レッスンでは耳を澄ませばなんとなく聞こえてくるか細い声。私の隣にいて歌ってくれるのだが、私にしか聞こえないくらい小さな声。でも音程は合っている。自信を持って歌って恥ずかしくない。でもやっぱりそんな簡単な話じゃなかった。歌のレッスンも年齢が上がるにつれ、先生の前で集まって歌う時に二人ずつ歌ったり、時には一人で歌ったりした。毎回娘は先生に「声が小さいな。」「もう少し声を出してみて。」「もっと自信持っていいんだよ~。」と励まされていた。私は、場面緘黙症のことを、いつ先生に言おうかいつも迷っていた。本来は元気いっぱいの娘、ピアノもエレクトーンも大好きな娘、でも歌でこんなに苦しい想いをさせたくない、こんなに親身に教えてくれる先生に場面緘黙症だということを言わないのは悪い、と思った。
でも「場面緘黙症」のことを先生に言うのをやめることにした。なぜならかすかだけど、しっかり声が出ていたから。笑顔だったから。口を一文字にして硬直している娘ではなく仲良しの友だちと一緒に負けじと頑張っていたから。先生に場面緘黙症のことを伝えたって、先生が「そういうことだったのか」と納得できて、もしかしたらいろいろ配慮してくれるかもしれないが、私の中でここまで娘が出来ているから、それ以上の成長は配慮されても変わることはない、娘次第だと感じたから。娘を信じて娘の頑張りをもっと褒めて一緒に成長しようと決めた。
小学一年生になり、レッスンもワンステップ上がった。そしていつものレッスンに月一で個人レッスンを追加することにした!!小学生になると親は通常レッスンは見学することは出来ず、個人レッスンのみ見学ができる。だから通常レッスンがどうなっているのか分からないが、個人レッスンでの娘の成長を見届けることが出来る。
個人レッスンも追加した理由は、何より娘がピアノを頑張っていたから。それが正解なのか間違いなのか今はまだ答えが出ない状態。娘の成長を信じて見守る過程にいる。
個人レッスンでは、ピアノを弾く。先生がすぐ隣にいてコツを教えてくれる。歌うことはないが、「この音は?」「この記号は?」「これはどんな曲?明るい?暗い?」など簡単な質問をされる。というか当たり前の流れで普通に質問される。
娘はというと、相変わらずとてつもなく小さな声で応答している。響くはずのホール。決して広くないホール。同じ空間で少し遠くに座っている私。しかし私には全く聞こえない。聞こえないくらい小さな声で答えている感じ。隣に座っている先生もさすがにあきれて「もう少し大きい声で言ってみて」と怒っているようにも感じる言い方で言ったり、「ん?今何て言った?」と笑いながら言ったり、あの優しい先生もさすがにちょっとイライラしているのではないかなとヒヤヒヤする場面もある。
もし自分が先生だったらどんな気持ちだろう。恥ずかしがり屋だということはもう幼稚園の頃から知っていて、それでももう小学生だからもう少しハキハキ言えるようになるといいなと思ってしまうだろう。皆のレッスンと違って個人レッスンだからさすがに答えてくれないと進まない。小さな声でかすかに答えてもテンポがここまで遅いとどんどんレッスンが遅れてしまう。焦る。でもピアノの練習はしっかりやっているし、真面目にレッスンもしている。でも何を考えているのか分からない。親も聞いていてそんなにひどく怒れない。ん~きっともどかしいだろう。。。
先生は終わると必ず「小学校ではどうですか?」とか「私にだけですか?」とか「他でも恥ずかしい感じですか?」といろいろ私に聞いてくれる。毎回「場面緘黙症」のことを伝えようか悩む。でも娘もいるし。。。私は「小学校の様子はまだよく分からないのですが、昔から恥ずかしがり屋で、緊張して全然喋れないこともあるので、先生にこれだけ話せていて私は凄く安心しています。」と伝えている。先生は「良かった~私はいい方なんですね!!もう付き合いも長いし!それなら良かった~。」と笑顔いっぱいで安心してくれる。娘はレッスンを苦しんでいない感じだから、これでいいんだと自分に言い聞かせ今もなおレッスンを続けている。
このままか細い声でも声が出せていけれれば、きっと声が出るというスタートが当たり前になって、少しずつ声がスムーズに出せるようになって、普通の声の出す扉を開けることが出来るようになるはず!!まだ娘の声は、喉の扉が閉まった状態で必死に出している状態の声。
そうかまだ喉がしまっているのだ!!
辛いだろうな~。悔しいだろうな~。でもヤマハピアノ教室に通う娘の心情はいたって普通。決して心は折れていない。だから悔しそうでもない。きっと喉の扉はしまっているけど声を出すことが出来るようになったから、娘の中では成長出来ているのだから気にしていないのだろう。むしろ前を向いているのだ。
だからやっぱりピアノの先生には、場面緘黙症のことは言わず娘の成長を見守ろうと思った!!
私は声ってすぐに出るものだと思っていた。
恥ずかしいから第一声が凄く緊張する。緊張するから話したくない。それは凄くよく分かる。
でも、話したいという意志があったらすぐに声は出せるというか声が出るものだと思っていた。声を出そう、話しかけよう、笑おうという気持ちって、自分で考える以前に反射的に反応して声が自然に出てしまうものだと思っていた。
それでも緊張するときに限っては反射よりも自分で考える方が上回る。でも考えたあげく話そうっという気持ちが一歩踏み出せば声は出るものと思っていた。というか声を出すか出さないかの判断は気持ち次第でGOサインが出れば声は出るということを当たり前と思っていた。
でも娘は、声を出すつもりで声を出そうとしたときに声が出ない。
どうゆうことだろう。。声を出したくても出ないって、どんな気持ちだろう。喋りたいのに何も声が出ないって。。やっとの思いで出せた声が凄くか細い声だとしたら。。いつもの自分の声が出ない娘。。
娘はきっと小学校でもこのか細い声で過ごしているのだと思う。
私は、娘がどんな気持ちなのか知りたくて、娘のか細い声を真似してみた。ピアノの先生に「この音は?」と聞かれた時に「レ~。」と言う時の娘の声を真似してみた。すると喉から出ている声じゃないことが分かった。喉をギュッとしめて喉の上から出す声だと分かった。頭に血が上るし、お腹は息を吸って止めたままで、体全体がギュッと固まっている状態になることが分かった。喋る時に息をしていないのだ!!この状態だと分かった!!!
これでは絶対それ以上声は大きく出ないし、ますます緊張するし、全くリラックスできていない。無酸素では大人でもキツイ。
緊張するときは深呼吸をしましょうとよく言われる意味が凄くよく分かった!!
次に友だちと会話している時の娘はどうだろう。ピアノ教室の娘よりは声が出ているように感じる。友だちに「これをして遊ぼう!」と誘われた時に「うん。いいよ~。」と返事をする娘の声を真似してみることにした。すると喉の扉は少し開いていることに気づいた。その少し空いた喉の扉付近で喋っている感じ。音の高さが常に一定で、低い声がふと出てしまうと声の太さにドキッとする繊細で敏感な気持ちになることが分かった。でもピアノ教室のときより音の領域が広がったことによりリラックスが少し出来ることが分かる。息も出来る。でもやっぱり体は少し固まっている感じでないとこの声は出せない。完全にぶりっこの状態に似ているかも。
友だちと大笑いして遊んでいる時も娘はいたって声を出さず肩だけで笑っている感じ。でも凄い笑顔。ふふふふと笑う声は娘の声の領域より低いし太い。ははははと笑う声は娘の声の領域より高いし太い。だから敏感に反応してしまって手で口を押えてブレーキがかかってしまうようだ。。娘も友だちも笑顔だからいいかと思うのだけど、もっと自然に大爆笑できればいいのになともどかしく感じてしまう。いつもニコニコしている娘。もっと感情を出したいだろうに。。嫌な時も泣きたいだろうに泣けない娘。とてももどかしい。
家では大笑いだし、ひょうきんだし、人を笑わすのが大好きだし、ワガママだし、怒りん坊だし、泣き虫だし、とっても優しいし、よく気が付く私たち家族の大好きな娘。。
お店の人に尋ねる時やちょっとした会計をする時など、小心者の兄が拒むと必ず娘が「じゃ言ってきてあげる!」「やってあげる!」と率先してくれる頼れる娘。これが本来の娘。でもお店の人を目の前にするとそれが出来なくなる娘。固まる娘。それでも懲りず立ち向かうが口が開かない娘。最近では率先してくれることすらしなくなってしまった。
恥ずかしがり屋でいい。緊張屋でいい。私だって赤面症。恥ずかしいドキドキする気持ちなんて当たり前。
でも、話したい時、笑いたい時、やりたい挑戦したいと思った時、声を出したいという意志があるときは、声が出せたらいいのに。
それでも娘が喉の扉付近から声が出せるようになってきているのだからとりあえず今は喜ぼう。
全くでなかった声 ⇒ 喉の扉の上から出す声 ⇒ 喉の扉付近から出す声 ⇒ 次は何だろう。一気に脳からの反射で出る声になるかもしれいし、そこまでいくにまだ段階があるかもしれない。
ここからの段階で親がしてあげれることは何かあるのか。親は見守るだけで信じるだけでいいのか。何か場所を提供してあげるべきなのか。英会話、バスケ、バトミントン、テニス、マラソン、サッカー、塾、空手、野球、お絵かき教室、習字、キャンプ、カラオケ、合唱、吹奏楽、卓球、お泊り、水泳、大人の手が必要なことで娘が成長できるならすぐにでもやらせてあげたい。でもそれをしたことによってもっと自信をなくしてしまうかもしれない。何が正解で何が間違いなのか分からない。分からないけど娘と日々向き合ってこれだというものを感じたら挑戦していきたい。
今はとにかく信じる。見守る。守る。
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