あれから月日は流れ…
娘もついに小学3年生がスタートした。
私の大好きな娘は、小さな頃から極度の人見知りだった。幼稚園年少の頃、場面緘黙症と医師から診断をされた。幼稚園年少で心の許せる友だちが出来て、年中では大好きな先生が出来た。そこから幼稚園で劇的変化を遂げたのだ。
小学生になり、不安と期待の中、1年生は大好きな先生に恵まれ、友だち関係も恵まれ、落ち込むことなく娘なりに前へ進めた。2年生はまた新しい友だちも出来て、娘なりに過ごした。
1年生の頃は幼稚園と違う小学校という別世界でいかに娘が心を閉ざさないように…と願うばかりだった。あわよくば世界が変わったことにより場面緘黙症を完全克服出来るチャンスと期待もしていた。幼稚園から心の状態や声の状態が何か変化したかと言われるとハッキリ言って何ら変わらなかった。いい意味でも悪い意味でも。幼稚園で心を開けたそのままの状態をキープし閉ざすことはなく、学校を娘なりに楽しめていたように感じた。
1年生の頃の担任の先生は50代くらいベテランの女性の先生。娘が声が出なくてピンチの時や声が小さくてピンチの時に助けてくれたようだ。これは娘が話してくれたのだが、娘が発表するときに「声が聞こえない!」と元気な男の子に授業中などで言われてしまうのだが、先生が真剣なまなざしで「良くない」とクラス全体に伝えるように男の子に伝えてくれたようだ。何と言ってくれたのか娘からは上手く説明が出来ず、文章に表せないのが残念だが、確実に先生に助けてもらえていたのは事実。しかし、個別面談の時はしっかり娘の目を見て「もっと大きな声を出してみてね。絶対もっと楽しくなるから。もっと自信になるから。大丈夫だから。」と強く熱く娘に話してくれた。男の子に強く話した先生自身が一番よく娘自身の苦しい気持ちを理解してくれているように感じた。本当はもっと大きな声を出したいことを。娘は先生に強く言われて、ぐっと胸が苦しくなったり悲しくなることは決してなかった。娘は先生のことが大好きだった。もしかしたら幼稚園の頃大好きだったあの先生とはまた違う心の師のような感覚で大好きだったのかもしれない。
2年生の娘は友だちとよく遊ぶようになった。娘は本当は凄く元気でお調子者なので、気が合う仲良くなる友だちは元気な女の子。元気な子は大抵男子とも思い切り遊べる子が多く、結果男女数人で遊ぶことが増えた。女の子だけで遊ぶ時は控えめながら声も出せていて大はしゃぎとまではいかないが思い切り動き回ってとても楽しそう。男の子に対しては、声が全く出なくなる友だちと、控えめMAXで聞かれたら答えれるくらいの男の子がいるようだった。男の子の友だちは元気なんだけどとても優しくて娘を気づかい、話しかけてくれる友だちが多いようにも感じた。娘自身も女の子ほど心を開いていないにしろあまり笑顔がないにしろ楽しいんだろうなと親の私からするとそう感じた。2年生の頃の先生はというと、40代くらいのベテランの女性の先生。凄く明るくとても感じの良い先生だった。しかし娘にとってはいまいちだったように感じた。参観会で私が気づいたことは、発表をたくさんする元気な数人の子がとても目立ち、静かに黙々と授業を受けるたくさんの子は全体としてしか見ていないように感じた。「またあの子が発表。。また?」と嫌悪感を感じてしまったことを思い出す。個別面談では「よく頑張ってますよ!ノートもキレイだし、発表も出来たね!凄く頑張ってます!すごいすごい!」ととにかく明るくてとにかく娘を褒めてくれた。褒められまくったが、どうも突き刺さるものがなかった。娘を見れば分かる。確かに娘は頑張っていると思うけど、私が心配しているところの真意を聞きたいのに全て大丈夫で、すまされてしまった。先生自体は嫌な先生ではなくとても明るくとても感じがいい。でも娘が大好きにならない理由は一人として向き合ってくれていないからだなと感じた。娘はそれでも心を閉ざすことはなく平行線のまま開いた状態で大きく進歩ない状態で2年生は修了した。
そんな娘もついに小学3年生!!
1年生や2年生とは違う小学生の中学年だ。
3年生の先生は20代後半か30代前半の若い中堅の女性の先生。最初の印象は教師という職業に熱意がある感じで、相手の気持ちをくんでくれそうな体育会系の先生という印象。娘に対してどう接してくれるか、娘の心を広げてくれるキーパーソンになってくれるか、それとも維持のままなのか、それとも傷つけるような、、それだけは避けたい。。どんな先生なのか。。不安と期待。。
娘の心を動かせるのは、結局娘自身にかかってる。キーパーソンとなるのは、まわりの友だちと先生。心のよりどころの支えは、家族。娘にとっていい出会いがあることを永遠に心の底から願っている。
そんな中変化は突然やってきた。
娘の9歳の誕生日。お気に入りの鎌倉パスタへ家族で行った。鎌倉パスタと言えば、美味しい生パスタにパン食べ放題(^^)/パンは出来立てのパンがあると店員さんが店内をまわり、「出来たての〇〇パンです。いかがですか?」と聞いてくれる。
今回は出来立てのクロワッサンを持った店員さんが我が家のテーブルに登場。クロワッサンの甘い香りに私と夫がまず「一つください。」と申し出た。
いつもの私なら、息子と娘に「どうする?もらう?」と前もって聞き、「ほしかったら、くださいって自分で言うんだよ。」と心配して助言する。
しかし鎌倉パスタのクロワッサンはそこまで甘くなく子どもたちにもそんなに好評ではなかったので、勝手にいらいないと判断して、助言せずにいた。
すると娘が突然「一つください!」と普通の声でハッキリと店員さんに言ったのだ!!!
時間が一瞬止まった!!
え?え?えええええええええ!!!!!!!!言った!!!言ったね!!!!自分で言ったね!!!!!
ヤッター(#^^#)( ;∀;)( *´艸`)笑
凄く凄く褒めた!!!!こんなこと初めてだから夫婦そろって凄く褒めた!!!!
そういわれてみたら、結構娘は成長を成し遂げて来ていた。一つ一つが小さくな出来事だったけど確実に娘の心の中では大きな出来後で、一つ一つクリア出来るごとに確実に大きな成長に繋がっていたのだと思う。
・そろばん教室で帰りに「ありがとうございました。」と出入口のドアで言えるようになった。←私は、大きな声で挨拶が出来る他の子どもとつい比べてしまい、そこまで褒めれなかったが、言える度に褒めた。駐車場で待っている私は「グー👍お母さんのとこまで聞こえたよ!」と褒めた。
・夕方散歩している知り合いのお姉さんに「こんにちは。」と挨拶が出来た。←お姉さんも娘を知っているだけに、恥ずかしがり屋な娘に気づいてもあえて目を合わせず娘を気づかってくれていたのに、娘から挨拶をしたことで、凄くニコニコの優しい笑顔で挨拶を返してくれたことがあった。これは私も隣にいて鳥肌が立つほど両者の気持ちが伝わって感動した。娘に凄く褒め、夫や息子や私の両親に娘の前でこの出来事を話したほど。娘が必ず隣にいる時に話し、褒めた。
・知らない人への挨拶。←家族で夕方散歩をすると、同じように散歩をする人に何人も会う。必ず挨拶をすることを伝え、私が先頭をきって挨拶をしまくっていた。息子もどんどん挨拶をしてあとに続く中、娘は毎回小さな声で挨拶をしていた。でも聞こえる度に「いいねーしっかり聞こえたよ!」と褒めた。
振り返ればいろいろな出来事があった。
もしかしたらもしかするかもしれない。
娘が変化したのは私が変化したからかもしれない。私というか成長をする息子娘に対しての私の子どもたちへの愛する仕方の変化。
振り返ってみると私の心が大きく変わった。。優しさから強さに変化したのだ。
まず息子に対して。小学5年生になった。息子は昔から優しくて戦いが嫌いで人を信じるとにかく優しい子。早生まれということもあり、運動よりお絵描きや折り紙など工作が好き。私と夫も図工が大好きで器用な方だから納得。でも一つだけ私と夫に理解できないことがあった。それが運動。
体育が好きな私と夫。走るのも自信があった。それなのに、息子はとにかく体育というか運動が好きではない。
私も早生まれだから息子の気持ちが分かっているつもりだった。小さな頃ってどうしても運動能力は大きな差があり、何をするにも早生まれは損。でも小学校中学年頃から徐々に差がなくなり、むしろ追い抜けるようになってくる。だからそれを息子に小さい頃から伝え、これから絶対伸びるからと言い続けた。
しかし息子はもう5年生。
運動会のリレーメンバーに選ばれないどころか50m走がそもそも遅い。運動会の徒競走では息子よりタイムが遅い子よりも遅くゴールをしてビリ。スポーツテストはD判定。
その上自分より足が遅い子を笑ったのだ。「〇くんのタイム〇秒なんだよ!」「〇くんゴールする時ジャンプしたから面白かった!」」と。
積もり積もって息子が泣くまで怒った。
「自分より遅い子の話なんかどうでもいい。自分より早い子をもっと見なさい。早い子は早い子同士で競い合って次こそはって頑張っている。それなのに遅い子を笑ってるなんて最低だ。」
「優しい性格なのは知ってる。でもね、本当に優しい人は、凄い強いんだよ。」「優しいけど弱い人は、最終的に人を見下す最低な人間になっちゃうよ。自分より駄目であれ~って心で願ってるんだもん。それで安心してるんだよ。意地悪はしないし喧嘩もしないから優しいけど心は真っ黒。最低だよね。こんな人嫌だよね。」「心の強い人はこいつより勝つぞって上を見てるの。意地悪はしないよ。正々堂々と戦う気持ちがあるから。だからいざという時人を助けてくれるの。心が優しくてしかも強いから。」「強い人間になろうよ。」
これでもかというくらい熱く伝えた。途中何度も私が泣きそうになったけどこらえた。息子はずっと泣いていた。
そして私はここで変化した。
気持ちを伝えただけ。きっと息子に響いている。しかしここからもう一歩踏み出すことにやっと気づいたのだ。
息子の気持ちを声に出して息子の口からしっかり聞くことだ!!!
これに気づいたのがターニングポイントだった。遅すぎるがやっと気づけた。。。
こんなに怒ったことはない。でもこの力量でそこそこ怒ったことはある。その都度少しは息子に響いていたのも知ってる。でもこの先があることにやっと気づいた。息子は優しい。親の話も素直に聞いて反抗もしない。とにかく育てやすい甘えん坊。こんちくしょうっていう気持ちが強くないのも知ってる。
だからこそ息子の眠っている奥底のこんちくしょうっていう気持ちを声に出して言わないと次に発展しないのだ。もう一歩先に踏み出せないのだ。
だから息子に今の気持ちを何でもいいから言いなさいと言った。
案の定息子は言わない。多分30分以上待った。その間も私の怒りは続いたがそれでも息子はなかなか言葉が見つからなかった。
やっと出た言葉が「悔しい。」だった。
私は息子の口から「悔しい」と聞けただけでも嬉しかった。嬉しいことを伝えた上で、「どうすればいいと思う?」と聞いた。
「成績が悪い子は皆悔しいと思うよ。皆悔しいって叫ぶと思うよ。でもだからって練習しているのかな?足の速い子は運動のスクールに通って練習している友だちもいるよね。サッカー少年団に入ったり、バスケチームに入ったり、野球チームに入ったり、皆走りまくってるよね。悔しいは皆一緒。悔しいってその時思っても毎日ゲームしてて足は速くなる?お母さんは悔しいの気持ちの後の話を聞きたい。」と伝えた。
ここからまた30分は待った。娘も夫も静かに待っててくれた。
「練習する。でも一人じゃ出来ないから一緒にやってほしい。」と息子が言った。「分かった。じゃあ皆で頑張ろう!目標を立てよう!」と話が進んだ。
これでよかったのか分からない。でもこんな感じで息子の運動特訓がスタートすることになった。
その日の夜、寝る時に息子に何であんなに答えを出すのだ遅いのか尋ねると「だってこうやって言うとお母さん怒るかなって考えちゃうから。」と。相変わらず人のことを考える息子。「怒られてムカついたらそんなことなんて考えずに気持ちをぶつけていいんだよ。気持ちを言わないと何を考えているか何も伝わらないからね。もっと相手を怒らせちゃうよ。思ったこともっと言ってね。お母さんせっかちだからすぐ答えを出しちゃってたから凄い反省。これからは絶対気持ちをまず聞くからね。もっと気持ちを言ってね。」と優しい口調で伝えた。
私と夫は子どもたちとの日常会話ですぐ気持ちを話すタイプ。例えば「今日暑いね。皆暑くない?窓開けるね~!」と勝手に判断し勝手に行動してしまっていた。これからは何気ない会話でも子どもたちの気持ちを聞いていくことから始めることにした。
息子はもう5年生。
気づくのは遅かったかもしれない。でも今気づけた。息子に対しては2つ!!
■強さ!!強い気持ちを心の奥底から引っ張り出すこと。強い気持ちを常に持つこと。優しさと強さは一緒に持ててこそ本当の優しさであること。
■相手に気持ちをすぐに伝えること!!後からじゃ意味はない。今まさにその時にすぐに気持ちを伝えること。相手の気持ちを考えることが出来る息子だからこそこれは必要。自分の気持ちも優先していい。本当に心と心でぶつかって話している時は気持ちを言わないといけないこと。
息子に怒っている時、私は夢中だった。でもあの時、娘にもきっと響いていたと思う。人間は完璧じゃないと私は思う。大好きな息子と娘を愛しているのに怒らないといけないことは毎日山ほどある。ただただ愛しているからこそ怒れるし信じているし応援したい。怒るときは本当に苦しい。答えがあっているのか分からないのに自分の価値観で怒らないといけないのだから。怒った後は夫と話し合う。これでいいのか、これでよかったのか、どうしたらいいのか。
娘はもう3年生。1,2年生とは違う。もう小学校の中では中堅だ。
娘とお風呂に入るときや、自転車で散歩する時、家でぐーたらしてる時、いろんな時に会話をする。心配だからいろいろ聞く。でも決まって伝えることは「3年生」ということ。プレッシャーを与えるようにしている。娘より小さな子が増えている。娘だって小学校に入った時不安だったはず。助けれるお姉さんになってほしい。もちろん授業中の発表が気になるのは確か。でもそこはずっと伝えてきたところで娘も「発表したよ。」という度に娘を信じるしかない。
そんな中、娘と息子が学校でメダカを必要としていたので、近所のおじさんにメダカをくださいとお願いに言った。おじさんは快くたくさんのメダカとメダカの卵と水草もくれた。凄く親切なおじさんで本当に大切なご近所さんだ。私はいつも通りおじさんとベラベラお喋りをしていた。そしたらおじさんの奥さんが私たちに桃カルピスジュースをくれたのだ。とてもオシャレでとても美味しかった。感謝を伝え帰った。
帰り道娘が凄く可愛い笑顔で「お母さん凄く美味しかったね!!」と言ったのだ。
その瞬間凄い稲妻が襲ってきたくらいの衝撃で私は気づいた。私はやっと気づいたのだ。。
その娘の気持ちをおじさんに言わないといけないことを。
当然のことだ。分かっている。私が一番分かっていたはずなのに、恥ずかしがり屋の息子と場面緘黙症の娘。昔から葛藤をしてきた。だからこそ言えないんだから仕方ないといつの間にか私がそういうメンタルになっていた。諦めていたのは紛れもない私だった。息子と娘はそれに甘えでいたのだ。
いやいやもう小学5年生。小学3年生。恥ずかしがり屋ではすまされない。当たり前の感謝の気持ちを相手に伝えることが出来ていないことに気づいたのだ。
私がいくらお礼を言おうとも、いくら感謝したとしても、相手からしたら、子どもからも気持ちを聞きたいはず。赤ちゃんじゃないんだから。そんなこと誰に聞いても分かること。今の今まで私が気づいていなかった。親だから子どもの気持ちを分かっていると勝手に決めてけ、子どもたちを甘やかせてしまっていた。
家に帰って子どもたちにもう一度感謝の気持ちを相手に伝える大切さとその場ですぐ伝えることの大切さをこれでもかというくらい伝えた。子どもたちのいる前で夫にも話し、夫とも親の責任であることを伝え意志を確認し合った。
娘は3年生。私たちからしたらまだまだ小さい娘。でも世間から見たら3年生は大きい。
挨拶だって恥ずかしいから出来ないでは通用しない。私は旗振りをした後子どもたちにどうだったか話す。「〇くん挨拶してくれたよ。〇ちゃん挨拶してくれたよ。〇くんから話しかけてくれたよ。〇ちゃんニコニコしてたよ。」と。息子と娘にも友だちのお母さんに同じようにニコニコ笑顔で挨拶してほしいと伝える。だって大人だって挨拶をした時挨拶がなかったら真顔で通過されると凄く傷つくんだと。だから恥ずかしいから笑顔が出せなかったなんて相手には絶対に通じないことを。そんなこと気づく余裕はないことを。
娘は場面緘黙症で挨拶なんてしたくても出来ないと知っている。でもそれは1.2年生までの話。無理しなくていいと伝えて守ってきたのは1.2年生まで。3年生からは違うんだと。まわりの大人も見方が変わるターニングポイントなんだと。もう自分を信じて踏み出さないといけないんだと。
3年生は本当に踏み出せないと駄目だと私自身が心の底から思うようになったのだ。
そのためには私がまず前に出てもっと見本にならないといけないし、安心していいことを伝えないといけないし、相手にも気持ちがあることを伝え続けないといけない。人間は完璧じゃないから恥をかいているところもどんどん見せていこうと思う。
恥といえば、子どもたちのいる前で両親と言い争い泣いたこともあったな。喧嘩ではなく、良かれと思って私がやったことで混乱したと言われ、ショックで泣いて自分の気持ちを父親に話したということがあった。これもこれで息子と娘に響いていたのかもしれない。皆完璧じゃないんだと。
これから先、すっと友だちと仲良しで先生も優しくて最高なことばかりではない。友だちから嫌なことを言われたり、嫌なことをされたり、先生に自分が悪くなくても怒られたり、いろいろな場面があると思う。何かあったらすぐ私と夫に言ってと伝えた上で、自分の気持ちを大切にすることを伝えている。
私たちはベットを4つくっつけて一つの部屋で皆で寝ていた。今年も夏がやってくるのでエアコンの掃除をした。エアコンの掃除をするときにどうしても2つのベットを別の部屋に移動しないと掃除が出来ない。そこで子ども部屋に2つベットを置くことにした。娘は大喜び!!息子は不安そう。。「夜起きちゃったらどうしよう。お母さんって呼んでいい?」と。私も凄く寂しかった。エアコン掃除期間だけなのに凄く寂しかった。しかし、心配していた息子はぐっすり眠れ、娘が寝れなかったくらい( *´艸`)
気づくと息子も娘も2人で子ども部屋で寝ることが楽しく気に入ったようで、別々で寝るのが当たり前になっていた。これも成長だと思い、寂しくもあり、嬉しくも感じた(*^-^*)
近いのに危ないからと車で送迎していた。危ないのと行きたがらない二人を連れていくのに楽だったから車にした。しかしもうそろばんへ行くのは当たり前になっているし、自転車で行ける距離なんだから不安はつきないが自転車で行くことに決めた。
1年生や2年生でも一人で歩いている子もいるsい、自転車の子もいる。それは私には無理だった。でも今は娘も3年生。車で送迎している場合ではない。お姫様扱いしていたのは私だった。でもまだまだ不安すぎるから私も一緒に自転車で行くことにした。まだまだ甘すぎるが、とりあえずもう少しだけ一緒についていくようにした。
息子は最初は3人で行ってただ、時間が娘とズレてきたのを機に一人で行くようになった。5年生なのに不安はつきない。息子は「お母さんがいても恥ずかしくない。」と言うが、心を鬼にしてお母さんと一緒に来ているとバカにされる前に私が身を引く決意が出来た。
↑上記2点。子どもたちというより私が大きく成長していることに気づかされた。子どもと一緒に親もこんなに成長しないといけないことに気づかされた。
これからも一緒に成長する大切さを身に染みて感じていこうと決意した!!!