私の娘は幼稚園年少の頃に場面緘黙症とお医者さんに診断を受けた。 ←*詳細ブログ
今はピカピカ小学一年生。 ←*詳細ブログ
いろいろ不安はまだまだあるけれど、娘は確実にして成長している。
いつも一緒にいる私だからこそとても実感している。
私の娘は小学一年生。ずっと一緒に寄り添ってきた私が今言えること。
場面緘黙症の小さな子どもを助けるためにはまわりの人のサポートが本当に必要ということ。そのために必要ないくつかを取り上げたいと思う。
家では元気いっぱいの子が幼稚園や小学校、親戚の集まり、、いろんな場面で無表情で固まって何も喋れなくなってしまう。
おかしいなと思ったら、まずは場面緘黙症をよく知る診療所のお医者さんに受診をするべき。
市役所で子育てサポートみたいのをやっているけれど、申し訳ないがいま一つ。「精神科は非常に混んでいるから、この子の場合はもう少し様子を見ましょう」と言われどんどん遠回りになってしまう。場面緘黙症は一見普通だから知識のある人でないと大したことないと思われがち。
親が一番子どもの症状を理解しているから、「相談」ではなくて、場面緘黙症に詳しい心の診療所に直接電話して「受診」すること。まずはここから。
場面緘黙症に詳しいお医者さんに診てもらうことで次のステップへ進めるのだ。
次のステップというのは、幼稚園や小学校に「場面緘黙症」ということを伝えることができるのだ。この診断がないと、恥ずかしがり屋さんという枠にくくられ、その内きっと治ると思われてしまう。場面緘黙症と伝えたところで、まだまだ理解が薄いかもしれないし、場面緘黙症と言ってもまわりの子どもたちもいるから娘が喋れないときに時間をとってはくれないのは分かっているが、でも伝えるか伝えないかで、先生の対応は変わってくるはずだ。
場面緘黙症と診断をされたことで次のステップへ行けるのだが、でもいざ本当に診断を受けると、前を向いて頑張ろうという気持ちと同じくらいズドーンとのしかかる不安。これからの不安はもちろん。自分の育て方ももしかしたらどこかよくなかったのかという不安。
子どもが一番不安なはずなのに、どっしりと構えるべき親の私が胸が苦しくなる。でも凹んでなんかいられない。
まず出来ることは、この子にとって一番の安心出来る存在であること。お母さんでもお父さんでもおばあちゃんでもおじいちゃんでも誰でもいいと思う。子どもに常に寄り添いサポートできる人ならば誰でもいいと思う。まずは娘の一番の味方であるために娘からもっともっと信頼されなくてはいけないと思う。
お母さんがいる…それだけで心の支えになれるくらい大好きな存在でありたい。だから今までも愛してきたけど、もっともっと愛して、娘におって安心できる存在になるのだ。
だからって子どもは娘だけでなく息子もいる。二人ともとても愛している。でも私は一人しかいない。同じように愛するようにしているはずでも、もしかしたらどこかで寂しい想いをさせてしまっていることがあるかもしれない。
だからまずは息子も娘も二人とも本当に大好きだということが伝わっていると確信できるくらいになるように毎日ハグし、毎日「大好き」と伝えることから始めた。たくさん抱きしめてたくさんキスもした。昔からずっとこんな感じだけど、もっともっとこれでもかというくらい愛することを心がけている。
不安な時、私という絶対的な存在がいるだけで、娘の心が少しでも落ち着けるように。
私は赤面症。夫は多汗症。これは社会不安障害というくくりと最近知った。一生懸命子育てしている親にとって悲しい話だが、場面緘黙症は遺伝要素もあるかもしれないと言われている。娘の場面緘黙症克服に向けて向き合うことしか考えていなかったけど、親の私たち自身もいまだに克服できずにいる赤面症と多汗症。まずは自分自身の症状を克服することから始めてみようと今頑張っている。それが娘の場面緘黙症の克服に繋がればと思う。 ←*詳細ブログ
家では元気いっぱいの姿とは一転、大人しい娘に見ている私はただただ胸がしめつけられそうなくらい切なさを感じるけれど、実際の娘の姿を知ることはとても大切だと思う。
娘が友だちと遊んでいるとき表情がなかったり、友だちの質問に答えていなかったり、反応が悪いときは、嫌われてしまわないか親の私がハラハラすることもあった。そういったときは友だちのお母さんに場面緘黙症のことを話す。でも分かってくれるお母さんは少ない。でもそれは当然のこと。私だって娘がこうだから調べてやっと場面緘黙症にいきついたのだから。認知度は相当低い。最初は「大丈夫だよ~」と心配しすぎという感じで言ってくるお母さんもいた。でも決まってそういうお母さんは明るくてパワフルで、娘と積極的に関わってくれる頼もしいお母さんだったりするのだ。友だちのお母さんに話すのは、娘が場面緘黙症だと言いふらしているようでちょっと不安だけど、挨拶も出来なくて無表情で話してくれないし何んだこの子は!!と不快な気持ちにさせてしまう前に私に出来ることはやはり伝えておくことも必要なのだと思う。
ただ娘はいつも無表情で固まっているわけではなく、いつもと違う小さな声だけど話せていたり、笑顔があるときもある。
だからその時その時の娘によって、大人に伝えるべきか見分けなければならないと思う。娘の場合、ピアノの先生には伝えていない。なぜなら娘が喋ろう歌おう弾こうと毎回頑張っているから。 ←*詳細ブログ
例えば娘の場合は、兄妹揃って虫が大好きなので、自然塾という一年通したイベントに参加している。そこでは毎回受付で名前を先生に伝えるという大試練が待ち受けている。息子に続いて娘も名前を伝える流れにしている。最初の頃は、毎回「自分で言える!」と自信満々の娘だけど決まって言えず私が伝えていた。しかしある時突然名前が言えたのだ。小さい声だけど出たのだ。そんな感じで言える時もあるのだ。いつ出来るか娘にも分からないけど、常に言いたいし、このくらい言えると自信もあるのに、なぜか声が出ない場面緘黙症。喉が突然詰まってしまうけれど、確実に心は成長しているから、突然反せる時もあるのだ。それを見逃さないように、そのチャンスを与えてあげられるように、私たち大人が出来ることはそういった試練の場を選んで挑戦させてあげることだと思う。
単発的だけど興味のあるイベントへも参加させたときもある。図書館で行っている「絵本作り」。娘はお絵描きが大好きだから参加してみた。ここでは最後に作った絵本を発表するという超スーパー難関もあった。当然娘は出来なかった。でもそんな時は私が娘の代わりに発表すればいいのだ。「こうやってやるんだ。お母さんでも結構緊張するんだ。今度やってみようかな。」と感じてくれることも必要なのかなと思っている。私も前に出るのが本当に苦手なタイプなので本当は本当に嫌だが娘のためなら出来るというか頑張れる。
こんな感じで興味のあること好きなことには積極的にチャレンジさせようと思う。親も一緒に参加のものだったり、傍にいれるものというのは大前提。
褒める子は育つ!!この言葉は本当だなと子育てをしていて凄く思う。でも何でもやっぱり上には上がいるし、もっとこうなってほしいという欲が上回ってしまって、褒めることはなかなか難しいとつくづく思うのだけれども、「褒めること」これは本当に子どもの心を育てるためには、とても重要なことなのだと思う。でも思ってもいないのに嘘で褒めてもそれは全然響かない。子どもが「そこまで凄くない」と一番わかっているから。だから、褒めることもなかなか難しいのだが、そこは客観的で繊細な目で大人が気づいてあげることが大切なのだ。子どもが少しでも「これ上手いかも」「これ凄いかも」と思っていそうなちょっとした小さな出来事を見つけたら、これだ!!と言わんばかりに大げさに褒めようと心がけている。光輝く輝きがいくら小さなことでも子どもの心にはその褒められたことは大きく響き、「自信」になるのだと思う。
まわりの人のサポートが本当に必要ということ。
①場面緘黙症をよく知る診療所のお医者さんに受診をすること
②もっともっと愛すること
③友だち親子を家に招くこと
④興味のあるイベントへ積極的に参加すること
⑤「自信」が持てるように親が子どもの輝きを見つけてたくさん褒めること
まだまだたくさんあるけれど、場面緘黙症克服に向けて、私がとても重要視していること徹底していることだ。まだまだ小さな娘。これからどう成長するか期待と不安はあるけれど、声を出せない表情が出せない体が思うように動かない、これらの症状は、「心」が普通なだけに相当苦しいものだと思う。場面緘黙症の完璧な克服を夢見て、娘を信じて、娘を支えていきたいと強く思う。
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