パラダイムとは自分の行動や態度の源になっている自分自身の根本の気持ちの部分のこと。知らず知らずの内に、人は自分だけの地図であるパラダイムを持っている。それが正しいか正しくないかは別として。
そのパラダイム転換が出来る時、自分のパラダイムの束縛から解放される。頭の中に突然光が差し込む。そして、人は大きな一歩を踏み出すことが出来るのだ。
息子の鬼ごっこの出来事、娘のピアノ教室の出来事。私にとって、パラダイム転換が出来たことで、子どもたちに良い結果をもたらすことが出来た。まだまだ小さな子どもたち。まだまだ未熟な親の私だからこそ、自分の限られたパラダイムをもっともっと無限に広げていかなければならない。そうはいってもパラダイムは考えているよりずっとずっと奥深いもので、そう簡単にはパラダイム転換出来ないもの。だから一つ一つの経験に対して、子どもと一緒に成長していくしかないと私は思っている。滞在している私のパラダイムを子どもたちに押し付けることを続ける前に子どもの視点になるべく早く立つこと。その子その子で親子関係が全く異なるから本当に何が正しいのかハッキリ言って分からない。でも新しい視点を持つこと、すぐに切り返せるように、純粋な心を持つ努力をし続けたい。
人間の成長過程には順序とプロセスがある。赤ちゃんは首が座り寝返りが出来るようになり座れるようになり這うようになりハイハイをたくさんして腕と足を鍛えて立てるようになりコツを掴んで歩き出す。各段階がとても重要で大切であり、またその一つ一つには相当の時間がかかる。どの段階も飛ばすことが出来ない。これは人生のあらゆる場面でも言えること。人とのコミュニケーション、習い事、勉強、運動。運動や勉強や習い事においては成長過程が必要不可欠でごまかしが効かないが、人格や人間関係においてはごまかしが効くことがある。格好をつけたり、着飾ったり、聞いたふりをしたりすることは簡単。でもそのごまかしの行為は、短期ではなく長期にわたって接していくと、いずれ化けの皮が剝がれるのは目に見えている。
個人の人格育成も、プロセスは必要不可欠なのだ。その為にはまず、自分の無知を認めることが第一歩なのだ。
人間関係を築くにも、プロセスは必要不可欠なのだ。まず相手の言葉をよく聴くこと。その為に相手を理解したいという気持ち、自制、忍耐が必要なのだ。
親と子どもが感情的になっているときは教えようとする姿勢はかえって子どもには裁きや押しつけになってしまう。双方の気持ちが落ち着いていて関係がうまくいっているときは、子どもと静かに話し合うことが出来、効果ははるかに高い。
子どもに、明るく協調性のある人間になってほしいと願うなら、まずは子どもへの理解を深め、子どもの視点に立ち、一貫した愛を示す親になることだ。
仕事でもっと自由に自分の意見が言え皆をまとめられる裁量がほしいと願うなら、より重い責任を引き受け、力を尽くし、貢献できる従業員になることだ。
このようにインサイト・アウト(内から外へ)の働きが必要なのだ。まずは自分自身を見つめ直す必要がある。自分の奥深いところに存在するパラダイムが間違った方向を向いていたら切り替える必要があるし、同じ方向であったらそのパラダイムを信じ自分自身をもう一度見つめ、より促進すべきだ。
芝刈り機を例にすると、手入れやメンテナンス(PC)をしっかりしていれば、芝刈り機(P)は故障することなくずっと使うことが出来る。
人間関係でもPとPCの関係は成り立っている。
夫婦関係をでは、相手にしてほしいことばかりを要求していれば(PC)、夫婦間の思いやりはなくなり愛は冷めてしまう(P)。逆に相手のことを想い合うことが出来れば(PC)、夫婦は愛し合うことが出来る(P)。
子どもが小さいときの親子関係では、親の愛を全面に受けて親とのコミュニケーションがしっかりとれていれば(PC)、大きくなったときに安心して親を信頼し自らの意志で前に進む気持ちを持てる(P)。ただ守りたいがゆえに上から言い聞かせ相手を操ろうとする親子関係や子どもからも愛されたいがゆえの甘やかしの親子関係では、大きくなったときに子ども自身がどう思うだろうか。一人前の人間として親が扱ってくれているという自信を持てているだろうか。親のことを信頼しているだろうか。
掃除を例にした親子関係では、親は子どもの部屋を子ども自身で掃除をしてもらいたい(PC)と思っていて、その子どもは親に言われなくても自分の意志でキレイに掃除をすることが出来ている(PC)。このように双方の掃除に対するPとPCの関係がつり合った状態であれば、うまく成り立ち、ずっとそのままバランスを維持し続けることが出来る。でも親が子どもへキレイに掃除をしてほしいという思いばかりに偏ってしまうと毎回子どもに小言を言ってしまい、関係が崩れてしまう。もしこのようにうまくいかない場合はそもそも部屋をキレイにするという根本のパラダイムがあるがゆえの行為なので、そのパラダイムから見つめ直していく必要がある。