とにかく凄い本!!他の素晴らしい本とはくらべものにならない何かがある本!!!
最初は凄く分厚い本で、こりゃ読めないなと思った私。でもダメもとでちょっただけ読むつもりで手にしたら、その魅力にすぐにはまった。気づけば読み終えていた。何だかんだ家事や育児や仕事に追われ1週間くらいはかかったけれど、いつもそばに置き、暇さえあれば読みたいという欲でいっぱいになるそんな凄い本だ!!
本を読むのが苦手な私でもこんなに虜にさせるこの本!!とにかく1ページでも読んでほしい。きっと誰しもこの魅力にはまるだろうと思った。
その中でも私が響いたところをピックアップしようと思う。素晴らしいところが多すぎて、この本を買おうと決意した。
子どもが大好きな親。大好きがゆえのあるある。「この子は●●が苦手。だから、心配だ。」という場面。心配だから、不安にさせないように褒めちぎったり、先回りしてこうした方がいいと教えたり、でも結局、子どもはイマイチな態度で、いい結果になったことはない。
私の夫はサッカーが好きで息子とサッカーを思いっきりやりたくて息子をサッカースクールに入れた。たくさん褒めたり、たくさん遊んだり、コツを教えたりした。でも息子は競い合うことが苦手な優しい性格で、虫探しや木登りを好んだ。サッカーを好きになってほしい私たちは頭を抱えた。
娘は場面緘黙症と診断を受けている。今は回復に向かっている。でも未だに場面緘黙症だからと娘に不安を与えそうな場面に遭遇すると私が娘をかばおうとしてしまうし、娘と一緒に身構えてしまう。娘にアドバイスをしたり、もし無理だったら相手に伝えてあげるとまで言っている。場面緘黙症だから仕方ないとすら思っている。
でも、この本を読んで、深く深く反省した。
大好きな二人の子どもたち。大好きだから親の私たちが一番よく理解していると思い、どうにか守ろう、どうにかいい方向へ導こうと思って接していた。でも、そもそも根本の考えが間違えていたことに気づかされた。
なぜなら、息子も娘も、私たちの親の勝手なレンズで見て、そうであろう不安な姿を決めつけ、そのレンズを持った親の私たちが二人にそう接することで、なりたくないであろうそのレンズの姿に勝手にさせられていたのだから。いいレンズなら素晴らしいことかもしれない。でも不安がゆえに曇ったレンズでは逆効果だ。
状況を変えたければ、まず自分たちを変えなければならない。自分たちを効果的に変えるには、まず自分たちの知覚、ものの見方を変える必要がある。
子どもたちのことを「良い子」「出来る子」であることに、心の安定を求めるのを辞める。自分たち自身の内的安定性を育てる。
子どもたちのことへの見方を変えることで、他の子と比べたり、裁いたり、押しつけりしなくなる。子どもたちとの時間を純粋に楽しめるようになる。
ただ今までそういった意味で守られ続けてきた子どもにとって、突然守られなくなると不安は当然起こる。でもそこは子どもを信じて一人でやらせてみる。「おまえは守る必要はない。十分にやっていけるんだから。大丈夫だ。」と無言のメッセージを送るのだ。月日が経つと子どもはきっと自信に満ち始め、スポーツやあらゆることにおいて、目を見張るほどの成長を見せるはずだ。
我が息子も、今は同年代の子どもたちと子どもたちだけで公園で思いっきり遊んでいる。鬼ごっこでいつも鬼になって泣きそうになっていた息子は今まさに成長段階。少し前の私だったら、息子が辛い思いをしないように私も鬼ごっこに参戦して、皆が平等に楽しめるようにルールを皆で作ることを助言したり、鬼を自ら引き受けたりして子どもたちと一緒に思いっきり遊び、我が子を守ってしまっていた。でも今の息子は鬼になっても泣かない。なぜなら足の速い友だちが鬼をさりげなく変わってくれるという幸せな経験をしたから。その行為は息子にとってとても嬉しかったことのようだ。その喜びの経験を胸を張って私に教えてくれるのだ。私の本音は鬼を変わってあげられる側の逞しくて優しい男の子になってほしいと願ってしまうが、我が息子は鬼を変わってもらえる側だった。でもその優しさを素直に感謝できる子どもなのだ。感謝できるということは、きっといつかやってあげる側になれるはず。いろんなことがあっても、子どもたちの中でいろいろ経験をして、しっかり解決出来る技を少しずつ身に付けている。親が見ていなくてもやれば出来るのだ。時には嫌なこともあるかもしれない。でもそうゆう時もあれば仲良く遊んでいることだってある。子どもたちの世界。日々小さい心で戦いながら、思いっきりハッピーを感じながら、皆で一緒に成長していくのだと感じる。息子ももう小学2年生。息子なら大丈夫!!と信じ続けようと思う!!!
我が娘は、仲良しの友だち数人とピアノ教室に通っている。根っからの負けず嫌いだからたくさん練習をするので、レッスンでは毎回手を挙げてピアノを弾くことが出来る。そんな娘を誇りに思っていた。しかし、ピアノ教室はピアノだけでなく歌も歌う。少し前までは先生のまわりに並んで皆で歌っていたが、レッスンが進むにつれ一人で歌うことも求められるようになってきた。場面緘黙症と診断を受けたことがある娘。でもピアノ教室は少人数の中友だちと一緒に頑張れると思った。友だちも恥ずかしがり屋だけど頑張って歌っている。きっと大丈夫。娘だってやれば歌える。そう信じ私も娘に向かって「頑張れ!大丈夫だから!!もっと大きい声出しなさい!!」と強く言っていた。また先生からも「●●ちゃんもっと声出して!何も聞こえないぞ~!大丈夫だから自信もって!!」と優しく時には少し強く言われた。でも、やはり娘は硬直してしまい声が出ない。本当は歌が大好きな娘。。。夜寝ると時に、久々に場面緘黙症で苦しんでいたときに救われた絵本を娘自ら持ってきて私に読んでほしいと言ってきた。読み終えた後「ピアノ教室で歌うのが嫌なの?お母さんが先生に言ってあげるから。」。娘の辛さが分かり、私も苦しくなり次のレッスン終わりに先生に娘が場面緘黙症で人前で一人で歌うのは厳しいことを伝えようと決めた。しかし次のレッスンのとき、なんと娘は歌ったのだ。友だちよりずば抜けて小さな声だったけどかすかな声で一人で歌ったのだ。私は感動で全身が震えた。娘は昨夜、私に救いの手を差し出してきたのは確かなのに、次の日の今日は自分の分厚い皮を脱ぎ捨てたのだ!!きっと娘を信じるからとむやみやたらに突き放すというのは違って、娘の気持ちを母である私が理解していることを娘と分かち合うことで娘は安心出来て、その上で自分自身で前を向いて頑張れるのだと。もちろん私は娘の気持ちを分かっていたがその思いを共感することを伝えることが抜けていた。今まで共感してきたのだから毎回言わなくてもと思ってしまっていた。でもまだまだ小さい娘。娘にとっては、困難と感じる大きすぎる壁は毎回が新しい壁であり、その都度その都度、お母さんである私と一緒に共感してこそ前に進めるのだ。娘は真の甘えん坊の息子と違い、甘えん坊の中に自立した何か逞しさが昔からある子どもだった。だからこそ、お母さんが自分の気持ちを分かってくれたことを感じるだけで、何も言わなくても、一人でその壁にぶつかることが出来るのかもしれない。親の私たちが突き放すのではなく、娘自身からつき離れるのが一番。娘のタイミングがくるまで辛い気持ちを分かっていることを伝えて安心させようと思った。
私の大好きな二人の子どもたち。一人一人全然違う子どもたち。その子どもにあった接し方。離し方。凄く考えさせられた。
まだ16ページなのに、ここまで深い気持ちになった。この一冊の本をまとめるのに何記事書くのか。。。楽しみでしかたない!!なぜなら、この本を読み終えた時の素晴らしい気持ちを、全部まとめてもう一度感動したいから。そして、頭にもっと入れて、これからの日々に役立てたいから!!!